収蔵資料群を表示: 51 - 60 / 79件
松竹座関係資料, Printed materials issued by Shochiku-za(bulk: 1910s-1930s)
美術館準備室(大阪市)時代に収集。関西にゆかりのある貴重な資料として、購入により一括収集されたものとみられる。
松岡寿宛書簡, Hisashi Matsuoka letter relating to the mural painting in Osaka City Central Public Hall(中央公会堂天井画・壁画制作関連資料, ca.1918)
大正7年(1918)に竣成した大阪市公会堂貴賓室(中央公会堂特別室)の壁画を描いた松岡寿(1862-1944)宛て書簡1通。年記はないが、5月中旬より制作に着手との新聞記事(「大阪新公会堂の壁画」大阪朝日新聞, 大正七年十月二十四日付)のあることから、1918年頃のものとみられる。発信者は不明。画題等に関する識者への相談に対する返信。
佐伯祐三関係資料, Donated materials relating to Yuzo Saeki(1920-1937, undated)
収蔵作品・作家周辺資料として、美術館準備室(大阪市)時代から積極的に収集しているもの。収蔵年度及び入手元は複数にわたる。
含まれる主な資料アイテムは、佐伯祐三ライフマスク(石膏)、佐伯祐三筆・妻(米子)宛書簡、佐伯祐正宛絵葉書、インド更紗(第一次渡仏途中に入手したとされる祐三遺品)、神吉逸治宛書簡・葉書、写真(1920~1927[大正9~昭和2]年頃)、銀座画廊ニュースNo.2「佐伯祐三回顧展号」(1935年)、「佐伯祐三遺作展覧会」ポスターと目録(1937年)、佐伯祐三の姉・土田喜久栄のインタビューテープ(1960~70年代に収録とみられるオープンリール、音声約40分)。
『鉄斎研究』, Tessai Kenkyu(全号, 1969-1996)
藤川勇造《飛躍》(配布版, 1989), Distributed replica of Yuzo Fujikawa's sculpture "Hiyaku"
昭和10年(1935)の心斎橋そごう百貨店新館竣工落成記念として設置されたブロンズ彫刻作品《飛躍》の複製物で、記念品として関係各所に配布されたもののうちの1点。素材はプラスチック。複製総数は不明。オリジナルの彫刻作品の作者は藤川勇造(1883-1935)。
梶川眞人印章, Seals used by Mahito Kajikawa(undated)
『歴史写真』, Rekishi Shashin(1924-1936)
『歴史写真』は国内外の話題を写真で紹介する東京の月刊誌で、大正2(1913)年創刊。
表紙絵と口絵を当時活躍中の画家に依頼しており、とくに大正14(1925)年から昭和2(1927)年までの3年間は、大阪の女性画家である木谷千種と八千草会のメンバーによる美人画が表紙絵を飾った。以後、昭和3(1928)年から昭和5(1930)年にかけて、島成園など大阪だけではなく、京都や東京の女性画家も口絵や表紙絵を描いている。
当館所蔵は1924年1月発行126号から1926年9月発行280号までの76冊(欠号あり)。OPAC登録済み。
戦前アマチュア映画, An amateur film shot in 1928
心斎橋に店舗を構え、高級子供服販売をおこなった雑貨店「ヨネツ」の代表、米津禎三による記録映画で、1920年代における欧州視察旅行の様子を捉えた16ミリフィルム(1928[昭和3]年撮影、全5巻、約80分/16fps、白黒、サイレント)。
※本資料アイテムのデジタル複製物は、当館アーカイブズ情報室にて閲覧が可能(予約不要)
日本画学習資料, Nihonga learning materials(1954-1966, undated)
本資料群は日本画学習教材で、手本、指南書などの紙類全340枚から成る。神戸で貸地貸家業を営んでいた萬谷喜代栄(まんたにきよひで, 1912-1980, 近代大阪で活躍した島成園の門下生橋本成花の親族)のもので、昭和中期(昭和20年代後半から40年代頃?)まで、萬谷は趣味の一環として神戸の清進画塾・日本画実技研究所の水谷吉晴(生没年不詳)から日本画を習っていた。
資料には、萬谷記名の習作も含まれるが、主に水谷吉晴の手とみられる「参考画」印のある描画手本、鶴の羽や足などの細部描写の図解、筆致や絵具の溶き方、色彩に関する指南などがあり、封書で送られた手本の含まれることから、通信教育の形式での授業があったと考えられる。
『プレスアルト』及び関係資料, Periodical "Press Art" and related materials
「プレスアルト」は、1937(昭和12)年からおよそ50年にわたり、京都にあった古書店ワキヤ書房店主の脇清吉が「プレスアルト研究会」の名の下で運営した事業の総称。脇はポスターやリーフレットといった広告印刷物を収集して、解説や批評を掲載した解説冊子『プレスアルト』を発行し、毎月約20点の現物を付けて会員に頒布した。会員数は刊行当初100名ほどで、3年後には3倍に増加し、44号からは冊子購入のみを希望する会員も募ったことから、戦前の会員数は650名を超えていた。
本資料群は、発行された解説冊子『プレスアルト』とそこに付属する広告印刷物、その他発行者が収集した広告印刷物、『復刻版プレスアルト』等、関連資料を含む積極的な収集物により構成される。