株式会社 萬年社. 万年社
沿革
明治23(1890)年、高木貞衞により創業(大阪市今橋4丁目)。広告取次業として「大阪毎日新聞」と専属代理業契約をし、大阪の売薬、化粧品などとの取引を中心に、地方紙へも業務拡大した。大正9(1920)年、株式会社萬年社となる。「大阪毎日」「大阪朝日」の二大紙との特約により、電通、博報堂とならぶ国内最大手の広告代理店として地位を確立、戦後はリサーチを核としたマーケティング部門を強化したほか、ラジオ・テレビ部を創設(1955年)し、国内初のテレビ視聴状況調査を実施(1957年)したことでも知られる。大阪の企業CM、スポンサー番組の制作も多く行ったが、平成11年(1999)年、自己破産のため倒産。
収蔵資料群または登録アイテム中に3件:
京阪電車CM, Keihan Electric Railway television advertisement
萬年社が製作した京阪電車のCM(主に1970~80年代のもの、36件):宇治川クルット、くずはモール街、大津ホール、ひらかたパーク、比叡山ホテル、びわ湖ショウボート、京都比良スキー、特急ジャストライン、まんが劇場オープニング、他
萬年社資料, Man-Nen-Sha Inc. records
栗原伸資料, Noburu Kurihara papers
京都の栗原邸(旧鶴巻鶴一邸)に残されていた資料で、萬年社3代目社長栗原伸(在任期間1951-1954年、以後相談役)の遺品。作成年代域は1899(明治32)年~昭和30年代。萬年社関係資料と栗原伸氏の個人資料(家庭、キリスト教に関わるものなど)とが混在している。
含まれるものは、栗原伸宛書簡、萬年社営業関係書類(大正9〜昭和30年代)、簿冊、名簿、原稿、写真、新聞、新聞スクラップブック、住所録、カード・ハガキのスクラップブック、葬儀録、ノート、名刺(昭和19〜22年)、昭和11年の年賀状、領収書綴、書簡集ファイル(整理されたもの)、ポストカードアルバム。書簡は主に明治30年代~昭和30年代(1900年代~1950年代後半)までのものが差出人名別ファイルに綴られている。