収蔵資料群を表示: 21 - 30 / 79件
吉原治良旧蔵資料, Jiro Yoshihara collection
本資料群は、昭和29年に「具体美術協会」(1954-1972)を結成し、リーダーとして若い芸術家たちを指導した吉原治良(1905-1972)の作成物、収集物、具体美術協会メンバーによる作成物のほか、吉原の没後、外部より吉原家に集積した資料からなる。これまでの収蔵・管理地にて部分的に整理されており、由来の異なる「具体美術協会」関係資料群の混在、新たな複製資料の混入の可能性がある。平成29年度に一部、遺族より追加資料を受贈。追加分には吉原治郎が継承した家業の吉原製油株式会社文書類も含まれる。
主な構成物は、原稿、素描、原画、作品の構成指示、図面、書簡、写真、映像(具体美術協会及びプライベート記録)、新聞、スクラップ、パンフレット、ポスター、チラシ、DM、名刺、名簿、芳名帳、吉原製油関係資料(宣材等)、蔵書。
単行本・雑誌・図録・冊子からなる蔵書(約7000冊)はOPACへ登録済で検索可能。
また、映像資料のうちフィルムを媒体とするもの(16ミリ、8ミリ)については、デジタル複製物を当館アーカイブズ情報室にて閲覧可能(予約不要)
吉田稔郎旧蔵資料, Toshio Yoshida collection
吉田稔郎(1928-1997)は具体美術協会創立メンバーのひとりであり、作家として活動するだけでなく、具体美術協会の記録、会計、連絡などの事務局的な役割を担い、吉原治良の秘書役も兼ねるなど、その円滑な運営に大きな役割を果たした。
本資料群は、吉田本人の制作に関わる作成物(ネガ、作品ファイル、展覧会ファイル)のほか、吉田が保管していた具体美術協会の展覧会やイベントを記録した8mmフィルム等、具体美術協会の活動記録が多く含まれる。
映像資料のうちフィルムを媒体とするもの(16ミリ、8ミリ)については、デジタル複製物を当館アーカイブズ情報室にて閲覧可能(予約不要)
具体美術資料委員会旧蔵資料, Gutai Art Association records(1937-1993, undated)
棚橋紫水資料, Shisui Tanahashi papers
大阪で活動した写真家、棚橋紫水(1906-1991)の写真(プリント)と撮影ネガフィルム、旧蔵書。棚橋は若くして小川月舟に師事し、大阪の前衛写真団体「丹平写真倶楽部」に、発足年の1930年(昭和5)より参加。戦後は、丹平写真倶楽部の一部メンバーとシュピーゲル写真家協会を立ち上げ、中心メンバーとして活躍したほか、一時期には、瑛九らによるデモクラート美術家協会にも所属していた。
一部のネガフィルムは、デジタル複製物を当館アーカイブズ情報室にて閲覧可能(予約不要)。
大石順教関係資料, Donated materials relating to Junkyo Ooishi
大阪道頓堀に生まれた画家、大石順教(1888-1968)は堀江六人斬り事件で両腕を失ったあと、口に筆をとる方法をあみだして、20歳頃より独学で書画の勉強に励んだ。本資料群は複数の所有者より受贈した書簡、色紙、関連書籍2冊、更紗からなる。
大阪版画の会資料, Osaka Graphic Arts Distribution Society records(1971-1997, undated)
「大阪版画の会」の活動により生成され、同会の運営に携わった個人が保管していたもの。会は版画愛好家たちによって1971年に大阪で発足。依頼作家からの作品提供を受け、1988年までの17年間にわたり版画作品の頒布会を開催し、座談会などを通して普及活動も行った。臨時の2回を含む全54回の頒布会(1971-1988年)で作品頒布した作家は、黒崎彰、吉原英雄、木村光佑、川西祐三郎、柄澤斉ら53名にのぼり、各回限定50部(例外あり)が頒布された。
本資料群は大阪版画の会に関係する個人が所蔵していた部分的な資料であり、1971年から1997年(昭和46年-平成9)にかけて作成された事務書類、白黒およびカラーネガと紙焼き写真が含まれる。
赤松麟作資料, Rinsaku Akamatsu watercolor paintings
大阪で活躍した洋画家、赤松麟作(1878-1953)の水彩画。
このほか、同由来から『赤松麟作画集』(1978年)を出版する際に使用されたポジフィルム(主な作品を写した4×5のフィルム)、写真プリント、没後に出版された赤松関連書籍および展覧会図録をともに受贈。
三露千萩・千鈴・佐藤房子旧蔵資料, Mitsuyu family collection
三露千萩・三露千鈴・佐藤房子の旧蔵品。 三露千萩(1882-1952)は、大阪で活躍した女性日本画家であり、その長女・三露千鈴(1904-1926)と二女・佐藤房子(-2016)も、母と共に絵を学び画家として活躍した。千萩と千鈴は、庭山耕園の画塾に通った後、木谷千種の八千草会で美人画を学び、一方二女房子は母とともに庭山耕園画塾で日本画を学んだ後、洋画に転向した。本資料群には、庭山耕園の絵手本帖、房子宛書簡、千鈴の袱紗、千鈴追悼記念誌、印章、写真資料などが含まれる。
青木月斗・北野恒富書簡, Tsunetomi Kitano letters from Getto Aoki
大阪船場に生まれた俳人・青木月斗(1879-1949)が、北野恒富に宛てた書簡2点:(1) 月斗の俳句仲間の姪が恒富に弟子入りを希望している旨を伝える入門の紹介状、(2) 月斗が関わる俳句雑誌『同人』に口絵を描いてもらいたい旨の依頼状。この2点は宛先住所や切手のない同一の封筒に入れられており、手渡されたものと考えられる。
画廊みやざき資料, Gallery Miyazaki records(1969-1997, undated)
大阪初の版画専門画廊で、戦後の大阪の美術界を版画分野で支えた「画廊みやざき」(1969開廊-1997閉廊)の資料。画廊内で開かれた展覧会のポスター、案内ポストカード(DM)のほか、展覧会関連記事のスクラップ、私家版の画廊史からなる。